2019.04.26マレーシア旅行②〜マラッカ〜

マレーシア旅行記続き

 

クアラルンプールから高速バスでマラッカへ。

チケットを購入し、約2時間のバスの旅。

 

 

忘れていた・・・

旅行サイトやガイドブックの注意事項を読んでいたのに。

マレーシアの交通機関の車内はとにかく寒い。

外が暑い分、キンキンに中を冷やしてある。

キンキンに冷えている上に身体に直接強い冷房の風が当たるようにしてある。

私はストールを巻いていたからそれを千尋にぐるぐると巻き、

3人でくっついてお互いに暖め合う。

快適温度、とか節電、とかクールビズとかを教えてあげたい。

 

マラッカに着き車外に出ると冷えた身体がじんわりと溶けていく感じがする。

あ〜暖かい〜と思った直後に暑さがぶり返してくる。

マラッカはクアラルンプールより暑いんじゃないか!?

 

マラッカで見るべき場所はキュッと狭い範囲に固まっていて、

その中心が「オランダ広場」と呼ばれるオレンジ色が印象的な建物に囲まれた場所。

 

アジアの観光客だらけ!(私たちもだけど)

それもそのはず。

マラッカは街全体が世界遺産に登録されている。

1396年にマラッカ王国が誕生してから400年以上の間に

オランダ、ポルトガル、イギリスなどのヨーロッパに支配されてきた街。

第二次世界大戦の終戦間近には約3年半ほど旧日本軍も占領していた。

その歴史の跡があちらこちらで見ることができる。

 

今ではマラッカのシンボルになっている500年以上前の「サンチャゴ砦」。

外からの攻撃に備えるために当時支配していた

ポルトガルの総督によって建てられた外壁の一部、

 

日本にキリスト教を布教した「フランシスコ・ザビエル像」。

記憶の中の教科書で見たザビエルと何か違う・・・。

あれ、禿げていない。むしろフサフサしている。

あの教科書に載っているフランシスコ・ザビエルは

カトリック教会の修道士によく見られる

「トンスラ」という頭頂部を剃った髪型らしい。

 

日本に来る前はこのマラッカの地でも布教活動をしていて、

丘の上には今や天井が朽ち落ちたセントポール教会が残っている。

そび丘から臨むマラッカ海峡。

大航海時代、あの海から様々な国がこの地を奪おうと押し寄せたのだなぁ。

晴れた日には海の向こうにインドネシアの島が見えることもあるらしいけれど、

この日は残念ながら霧がかっていた。

こんな混乱した背景のある街だけど、

今ではそのミックスされ残されてきた文化を見にくる観光客を相手に

たくましく生きる現地の人達。

 

夫婦二人だったら絶対に乗らないであろう、

「トライショー」というキラキラとした装飾の自転車タクシーに乗った時、

ガイドのおじさんが

「僕の街は色々な国に支配されてきたけれど独立した。だから一番強いんだ」と

笑いながら話していたのが印象的だったなぁ。

 

メインストリートのジョンカー通りは人混みが凄すぎたけれど一本外れると静か〜。

現在の伝統工芸品はもちろん、

統治下時代の物が売られているアンティークショップも点在している街並み。

 

夜はジョンカーストリートがナイトマーケットで賑わう。

日中は車が行き交う通りがいつの間にか出店で溢れかえっている。

 

ぶらぶらするだけで楽しい。

 

マラッカといえば、ババニョニャ民族によるニョニャ料理。

中国系移民と現地マレー人女性の間に生まれた男性をババ、女性をニョニャといい、

どちらの宗教や文化も融通させて生活していたのが素晴らしいなぁと思う。

その家庭料理として今も残っているのがニョニャ料理。

絶対に食べたいと思っていた一品が「チキンライスボール」。

鶏肉と一緒に炊いたご飯を丸めたもので、モチっとした食感。

蒸し鶏、グリルした鶏も注文してタレをつけながら食べる。

どんどん食べられる!千尋もパクパク。

 

ここでもやはり色々な宗教の方でも食べられる鶏肉料理が盛ん。

 

「マレーシア最古の街」と呼ばれるだけあって複雑な歴史をそのままに、

その中にたくましさも垣間見える街でした。

それにしても、もうちょっと歴史を勉強してから行けばよかった。

 

マレーシア旅行記、もうちょっと続きます。

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