2014年12月 のアーカイブ

2014.12.21ハワイ記録

今月の初めにハワイに行ってきました。

毎年恒例の2人での社員旅行ではなく、今回は義祖父を連れての3人旅。

 

93歳の義祖父の願いは「死ぬまでにハワイに行くこと」。

海で泳ぐのが好きというわけではないのに(水着どころか半袖の服も嫌う)、なぜハワイなのか。

 

その理由は「真珠湾に行って、戦争の始まりを見たい」とのこと。

「見たい」と言いつつ、

「戦争に行った者として見なければいけない」という気持ちが強いのだな、と感じた。

 

義祖父は17歳ころから日記を書き始め、93歳の今でもそれは続いている。

以前、戦争に行く前の18歳ころの日記を読ませてもらった事がある。

友達との事。

家族の事。

自分の夢の事、など。

その日記の中の少年は、自分達と同じ様に笑い、悩み、未来を信じて人生を歩んでいた。

それまでは自分とはかけ離れた事のように感じていた戦争が、ぐぐっと身近に迫ってきた感じがした。

生まれた時代が違う事で、義祖父は戦争に巻き込まれ死を覚悟するほどの体験をし、

私はそれほど苦労もせずにぬくぬくと生きている。

 

それを考えると「ハワイに行きたい」という義祖父の願いを

叶えてあげなければいけない、という気持ちになった。

 

93歳の老体を考え、滞在は3日間でオアフ島のみ。

疲れたらホテルでゆっくり休んでもらう。

それでも部屋からハワイを感じでもらえるように、海沿いのホテルの海側の部屋を取った。

 

山に囲まれた狭い空の下で生活している義祖父は、

青い空に透き通る海、浜辺でくつろいでいる人々を見て

ため息まじりに目を細めていた。

 

ホテルのベランダからの景色。

 

一番の目的である真珠湾へ。

戦艦アリゾナ記念館と資料館で展示をじっくりと見入る義祖父。

アメリカから見た真珠湾攻撃なので、

日本のことをボロクソに極悪非道な国と表現しているのではないか、

それを元海軍人として平常に見られるのか、と心配していたけれど、

真珠湾攻撃を割と客観的に表現されていた。

日本軍の魚雷

 

日本軍が撃沈させ、

今でも海に沈んだままになっているアリゾナ号の上に建てられているアリゾナ記念碑。

そこには真珠湾攻撃で亡くなったアメリカ兵の名前が掘られている。

堪らない気持ちになったみたいで、「恥ずかしいなぁ」と暗い顔をしていた。

当事者にしか分からない感情、だなぁ。

 

複雑な気分になったみたいだけど「来てよかった」と言いながら、

ベーコンアボカドビーフバーガーとガーリックバターフレンチフライを

パクパクと食べる姿を見て私達も一安心。

 

この日は現地時間で12月1日。ちょうどこの日は義祖父の復員記念日。

約70年前にフィリピンから日本に帰国し、それまでの価値観をがらりと変えて生き始めた日。

「本当の誕生日よりも思い入れが強い」と常々言っていたこともあり、

サプライズでサンセットクルーズディナーでお祝い。

沈み行く夕日をぼーっと眺め、

 

フラダンスショーに思った以上に喜んで少しはしゃいでいた。

 

 

次の日も晴天。

バスでいける範囲でダイアモンドヘッドを楽しむ。

 

長年の思いだった真珠湾にも行け、

ハワイの心地よい空気に「ここは極楽じゃ」と、良い思い出になったみたい。

 

短い滞在だったけど、無事に帰ってこれて本当に良かった。

 

そして・・・帰ってきたら・・・雪!!!